〇平成12(2000)年6月25日
衆議院議員初当選
「今度は松本」「松本たけあきに託そう」という皆さまのお声で、お力で国会に送っていただいた6月25日を松本は決して忘れません。税金のムダやおかしな使われ方をやめさせるべく、決算行政監視委員会に所属し、活動をスタート。
〇平成17(2005)年9月18日
民主党政調会長就任
民主党政策調査会長は、党三役のひとつで、民主党としての政策を決定するとともに、政府・与党が提出する法案に対する民主党の賛否を決定、また対案作成や修正提案を行います。党を代表してテレビ出演や討論会に出席することも。
平成17(2005)年9月25日
サンデープロジェクト出演
田原総一郎キャスターからは「自分の言いたいことは、しっかり言っている」と高く評価される。
〇平成21(2009)年9月16日
衆議院議員運営委員長就任
議院運営委員会、通称「議運」は、国会審議の入り口から出口まで運営全般を与り、議院運営委員長はその責任者。衆議院では、議長、副議長に続く№3の役職であり、これまでは、閣僚経験者等が指名されてきました。
〇平成23(2011)年3月9日
外務大臣就任
(米・露・英・仏・独・伊・加 主要国外相と)
就任2日後に、東日本大震災が発生。初めての国際会議となったG8外相会議(3月14・15日、パリ)では、冒頭、日本への支援に謝意を伝えました。
以後、日中韓外相会議、日・ASEAN外相会議、ASEM外相会議など外交日程が絶え間なく続きました。
〇平成23(2011)年4月17日
クリントン米国務長官と
また、ユドヨノ・インドネシア大統領、ギラード・オーストラリア首相、温家宝・中国首相など多くの首脳、外相が日本を訪れ、松本は被災地に同行、親しく意見交換をしました。
〇平成27(2015)年10月26日
後援会に離党の決意を報告
私がめざす道と民主党の進路がもはや重なることはないとの考えに至り、民主党を離党する決意を後援会の皆様に報告しました。翌日離党届けを提出し、11月10日離党が承認され、無所属議員として再出発しました。
〇平成29(2017)年9月27日
自由民主党入党
〇平成29(2017)年10月22日
衆議院議員7期目当選
第48回総選挙は、初めて自由民主党公認候補として臨みました。65.3%と言う高い得票率で、七期目の当選をいただきました。
〇平成29(2017)年11月9日
志公会(麻生派)入会
〇令和元(2019)年10月4日
衆議院外務委員長就任
秋の臨時国会冒頭、衆議院外務委員長を拝命しました。早速、日米貿易協定、日米デジタル貿易協定の国会承認に尽力。米国のTPP脱退後、必須であった日米間の通商ルールの確立、進化に貢献することとなります。
〇令和2(2020)9月
内閣委員会筆頭理事 就任
内閣委員会は、最重要法案が相次ぎ、最も忙しい委員会と言われます。コロナ対応に掛かる特別措置法修正の与野党合意や、デジタル庁設置法案、重要土地調査新法などの成立に尽力。
〇令和4(2022)11月・令和5(2023)12月
総務大臣 就任
総務大臣は、地方行政、選挙、消防、郵政、放送、情報通信・デジタル、統計、政策評価など生活に直結する幅広い分野を所掌します。
災害対応では、緊急消防援助隊の出動や通信の復旧に全力で取り組みました。
閣議の席次は、総理、総務大臣、外務大臣です。
松本家に語り継がれる伊藤博文像
明治政府の要職を歴任した伊藤博文。
彼が国家の最高機密事項を話し合うのはいつも自宅でした。それは秘密を守るために細心の注意を払っていたからです。お茶を運ぶのも当時10歳にもならない、たけあきの祖母、清子さんの役目でした。小さな瞳でどんな歴史を見たのでしょうか。